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               2009年6月吉日
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題名:香焼寺(大野町)と後南朝  名前:T/M 2016/12/23(金) 08:52 No.173  操作


佐々木馬淵(馬渕)氏と楠木氏はいつ頃どの辺りで接点があったのかと
調べてみますと、
篠原流馬渕系図に祖廣定が「右大将源頼朝卿御側へ被為召昼夜相詰罷在御寵愛不浅御小姓頭被仰付翌丑4月  河内国 於 志紀郡 五千貫賜る」とあります。志紀郡のどこか、いつ頃まで所領していたかは不明ですが、この地は国府(藤井寺市)がおかれ、楠木正成が祈願所とした「河内国総社 志貴県主神社」や 「伴林氏神社」があったところです。
また「源頼朝が最初に上洛した時、雇従者に楠木七郎という名前がある」(参照 時代背景)
しかしどちらも手がかりが見つかったという所です。



題名:汾陽寺と蒲生氏  名前:T/M 2016/12/15(木) 19:14 No.171  操作


美濃斎藤氏と日野蒲生氏は 共に藤原秀郷が祖。ではなく魚名流と思います。
お詫びし訂正させていただきます。
近日、関谷医院長に同席されるとの事ですが、よろしくお願い致します。

  
 

題名:Re: 汾陽寺と蒲生氏  名前:名無しさん 2016/12/16(金) 12:25 No.172  操作

インターネット上の「天月ブログ楠木探訪録その124川上村の更矢家古伝」に美濃楠木氏の伝承が書かれていました。
楠木正成妻久子は南朝の脇屋義助、伊自良氏の縁で伊自良に来たようです。
大阪府富田林市甘南備に久子夫人の遺跡があり、山県市長滝の甘南美寺(甘南備神社)と何らかの関わりがありそうです。
伊自良湖のレストランの方が歴史に造詣が深く以前南朝史の資料を提供したことがあります。
楠木氏の伝説まで出てきては混乱の極みですから、あまり深入りしたくないのが本音です。



題名:汾陽寺と蒲生氏  名前:T/M 2016/12/15(木) 16:36 No.170  操作


美濃斎藤氏と日野蒲生氏は 共に藤原秀郷が祖。
春日局ゆかりの日野町野氏より蒲生氏郷の乳母が出ています。



題名:汾陽寺と蒲生氏  名前:T/M 2016/12/15(木) 16:29 No.169  操作


乾徳山・汾陽寺(臨済宗妙心寺派   岐阜県関市武芸川八幡谷口)
嘉吉元年(1441)斎藤越前守利永の創建で、開基は雲谷和和尚 
延徳二年(1490)に斎藤新四郎利国がまた再建といわれています。
この雲谷玄祥(1402−1456)和尚、1446年犬山瑞泉寺の青龍山臥龍寺を建立しているのですが、臥龍寺の御住職のお話では近江日野蒲生氏出身とのことでした。最初は日野近くの永源寺(1361年創建開山 寂室元光  開祖 佐々木氏頼)で修行し、その後犬山へ。



題名:香焼寺(大野町)と後南朝?  名前:T/M 2016/12/14(水) 18:34 No.167  操作


御教示ありがとうございます。
「楠正成子孫?稲村ヶ崎だより」も拝見しています。
今まで私にとって長い間不明でした本田関谷氏のルーツの手がかりをようやく見つける事が出来ました。
香焼寺伝によると「楠用隆の次男用勝は越前朝倉氏に仕官し、河口庄、新口庄を知行 姓を関谷(或は関屋)と改め、カタバミの紋所をつける。」とあります。
明治初期においても関谷氏はすでに本田村の有力者であったようです。

美濃池田氏の伝承も了義寺野の件も調査はこれからです。
よろしくお願い致します。

  
 

題名:Re: 香焼寺(大野町)と後南朝?  名前:名無しさん 2016/12/15(木) 09:17 No.168  操作

女子プロゴルフツア−の解説で活躍されている森口裕子プロのご主人関谷氏から楠木氏との関わりを以前から聞いておりました。しかし、本当のところは疑問視していましたが香焼寺伝について教えて頂きましたので少し見方が変わりました。
近日、忘年会で関谷氏と同席する予定ですので話題にさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。



題名:香焼寺(大野町)と後南朝?  名前:T/M 2016/12/11(日) 16:20 No.163  操作


mino阿弥様
ご無沙汰致しています。
揖斐郡大野町黒野にある香焼寺(浄土真宗本願寺派)の墓地には多くの馬渕家の墓があります。墓地を何度は拝見し、相羽のすぐ近くなので以前より気にはなっていたのですが、最近又いとこと話す機会があり、このお寺の16代御住職楠基道(衆議院議員 2区 立憲政友会 犬養内閣 )氏の母は本田馬淵氏の出という事がわかりました。現楠御住職は19代で、火事により以前の史料はないとのことでした。南朝方楠氏と美濃馬淵氏(馬渕氏)の間に何か関係があったのでしょうか?それともただ単に浄土真宗つながりかもしれません。




以下は楠正成関係のサイトより
「2011.02.08 アップ分」

楠精一郎氏(精一郎氏の祖父の兄が基道氏)家は、岐阜県揖斐郡大野町にある浄土真宗の寺、香焼寺から出ている。この家系は、楠木正成の子孫と称する。寺の16代住職であり、仏教大学教授や台北高等学校教授などを務めた楠基道が編纂した寺の沿革『香焼寺沿革史』(昭和12年)によれば、楠正成から7代目が南朝挙兵に失敗し、吉野から越前(福井)に逃れた。9代目はさらに越前から美濃(岐阜)に移り、既に天台宗の寺として存在していた香焼寺の住職となった。このとき浄土真宗に改宗した。文明6(1474)年、応仁の乱の頃であるという。
ただし、途中で三度ほど養子を迎えたりしている為、家系は正成の子孫であるが、血統的には絶えているという。

  
 

題名:Re: 香焼寺(大野町)と後南朝?  名前:名無しさん 2016/12/12(月) 12:06 No.164  操作

山県市長滝の伊自良湖近くに楠木正成の妻の墓とされる伝説があります。また、美濃池田氏には、楠木正行の子が池田氏を継いだとされる伝承があります。他にも遠祖は楠木氏とされる家系が見られますが確証がなく不明というほかありません。なぜこのような伝説が存在するのか興味深いところです。
  
 

題名:Re: 香焼寺(大野町)と後南朝?  名前:名無しさん 2016/12/13(火) 09:04 No.165  操作

インターネット上で「楠正成子孫?稲村ヶ崎だより」を見つけました。
  
 

題名:Re: 香焼寺(大野町)と後南朝?  名前:名無しさん 2016/12/13(火) 09:44 No.166  操作

了義寺(岐阜市椿洞)は、後醍醐天皇第十一皇子無文元選禅師開山であり、二代目住職即宗和尚は、楠木正成の血筋であるとされています。
了義寺には菊水の紋の香炉があるそうです。
現在、了義寺は無住であり霊松院(岐阜市岩崎)が兼務住職として管理されているようです。
楠木氏の伝承は、おそらく無文元選禅師に随伴して来た人々の中に楠木氏や伊予河野氏がいて、1370年前後にさかのぼるものではないかと推測しています。
土岐頼康が正法寺の開山を南朝方であろう臨済宗法燈派の嫩桂正栄としたことも、土岐氏が南北融和政策をとっていたのではないかと推測されます。
しかし、この土岐頼康の政策は、足利義満が土岐康行を討ち土岐氏の勢力を削ぐ伏線となったのではないかと思われます。
了義寺は、無文元選禅師開山の単なる寺院ではなく、亀山天皇皇女昭慶門院領(昭慶門院御領目録ご参考)に南朝方の人々が集結していた美濃における拠点であった可能性があり、のちに方広寺(浜松市引佐町・臨済宗方広寺派本山)に移ったものと思われます。



題名:無題  名前:名無しさん 2016/10/13(木) 13:40 No.162  操作


追伸 岐阜県図書館に「早矢仕家の歴史」早矢仕是雄著があります。
早矢仕氏系図として
通行ー林伴左衛門越知重通(美濃守護初代土岐頼貞奉仕)
通行ー林大助越知通高(美濃守護二代土岐頼遠奉仕)ー林孫太郎越知通氏(美濃守護三代土岐頼康奉仕)・・・早矢仕左衛門越知通重(早矢仕当流之元祖、美濃守護八代土岐成頼奉仕)ー早矢仕伴左衛門越知通辰(美濃守護九代土岐政房奉仕、美濃守護十代土岐頼純奉仕)ー早矢仕大助政元(美濃守護十一代土岐頼芸奉仕、大桑落城の時戦死ー早矢仕考右衛門通則(武儀郡エ退住居 笹賀・・・
三代守護土岐頼康から八代守護土岐成頼までの間は不明ですが、八代守護土岐成頼の時代に当流の元祖と書かれています。
この頃、元々の「林」から「早矢仕」とされたのではないかと
思われます。



題名:教えて下さい!!  名前:早矢仕友幸 2016/09/29(木) 02:52 No.160  操作


名古屋在住の早矢仕と申します。
最近ふと、早矢仕家についての由来を知りたくなりました。
ネット検索していましたらこちらに行き着きました。
こちらに投稿させて頂いていいのか
わかりませんが、もし何かご存知でしたら教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。

  
 

題名:Re: 教えて下さい!!  名前:名無しさん 2016/10/11(火) 09:27 No.161  操作

丸善の創業者、ハヤシライスの生みの親ともいわれる早矢仕有的が有名です。武儀郡笹賀村(岐阜県山県市笹賀)出身。
早矢仕氏は、「美濃明細記」には「天文十六年再秀龍大桑城を攻る事」(城中より早矢仕新助道俊と名乗り、小兵には候とも古殿の鹿狩の供せし時、幾年とも知れぬ猪を一矢にて射留めしかば、早矢仕と感じ玉ふ故、本名山田源氏の末流國島と申せしが、早矢仕と改む可しと命じられる)と書かれており早矢仕と名乗った由来が書かれています。
伝記の記述とは別に、笹賀の早矢仕氏伝承系図には、先祖は越智通行とありますから越智姓河野氏流林氏の分家筋ではないかとも推測しています。
確かな史料は見当たらず、真実は不明というほかありません。



題名:第3回中部土岐会総会史跡巡りバスツアー 
名前:澤源 2016/09/17(土) 23:15 No.159  操作


第3回中部土岐会in北陸バスツアー開催のご案内  
中部土岐会は、一昨年8月に岐阜県瑞浪市において再開されましたが、昨年は長野県下伊那郡泰阜村にて第2回が現地に残られた20軒程の泰阜土岐さんと共に開催することができました。
そのお蔭で、菅沼氏から土岐姓に名乗りかえた系図が紹介され、また群馬県吉井藩への菅沼康助(菅沼定利の子)の所替についても確認されましたから、藤岡や榛名でも土岐姓として残ったことが解明できました。  
さて、今回は沼田土岐氏が大阪城代勤務から駿河の田中藩へ移封される前に越前野岡藩主時代があることから解明を目指しますが、菅沼から土岐氏に名乗り替えた同様の例となるかもしれませんし、舞鶴藩に仕えた藩士には美濃では土岐一族としている西郷・彦坂・神戸・乙部・池田・深沢・萩原・山本などが仕えており、そして多くの菅沼氏が勤務しており泰阜と同様となるかどうか・・・。
ついては、土岐頼殷の室は田辺藩の西郷若狭守延員と牧野佐渡守親成娘でありますから。
そして、美濃源氏土岐一族の明智光秀に関連史跡として東大味町の明智神社や一乗谷朝倉氏遺跡そして福知山城に御霊神社を巡りますので、ご期待くださいませ。  
尚、土岐氏累代の供養を願教寺様にお願いしておりますのでご皆様も御一緒に参詣頂けたら幸いです。  
また、宿泊所において総会と「美濃源氏土岐一族について」講演会がございますので、この機会に土岐一族の様々な歴史について学習できるかと思います。  
つきましては、単独の車で参加される方や、途中からバスに合流する方や、供養祭や総会講演会だけの方など、参加者の出易い事も考慮しておりますので是非ともご検討くださいませ。
尚、参加希望者はメール(minogenji-tokiichizoku@docomo.ne.jp)又はファクス(0572-68-3140)またはショートメール(090-5108-8374)でお申込み下さい。
その他、次回の第4回の案内は今回欠席の方も含めてご返信のあった方へご案内申し上げます。

名称 第3回中部土岐会in北陸バスツアー(15名募集)
日程 平成28年11月4日(金)〜11月5日(土)
行程 全行程参加者は11月4日(金)午前 7時45分 ホワイトスクエア集合(駐車場あり)    土岐氏供養祭は11月4日(金)午前11時00分 越前市野岡町の願教寺集合        講演会参加者は11月4日(金)午後 5時00分 芦原温泉ホテルに集合(決定後に連絡)
会費 全行程27000円・途中合流25000円・単独乗用車19000円・法要又は講演会1000円
締切 10月20日(木)尚、10月31日以降のキャンセル料は宿泊費15000円のみ返金します
問合 美濃源氏フォーラム井澤090-5108-8374 minogenji-tokiichizoku@docomo.ne.jp  
以上



題名:安国寺の一華院と一華主  名前:澤源 2016/07/24(日) 23:31 No.158  操作


158の画像を原寸大表示します 東大の資料編纂所から土岐成頼の息子「妙守」が安国寺に入ったことをケミックの林正啓氏が見付けていましたが、更に「一華院」の記述も発見されました!
山県市の岩村宗康氏が東陽英朝語録「小林無孔笛」の安国寺に「一華主」の意味が不明とされていましたが、これで全てが揃いました!!
岐陽・岐山・岐阜を東陽英朝が使い始めた15世紀末には、八百津から池田まででの岐蘇川(木曽川)の北側の山脈が「岐山」であり、この地域が「岐陽」であることが確定!!!
私が学者なら、論文一本完成するのに、惜しいですが発表とします!!!!


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