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               2009年6月吉日
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題名:明智丸6  名前:TM 2017/06/05(月) 21:27 No.233  操作


明智光秀の辞世の句から
五十五年 夢   覚  来 帰一元
        佐目  来れば一元に帰す。  覚と佐目をかけていれば佐目説も有力?



題名:岐阜命名シンポジウム  名前:名無しさん 2017/05/24(水) 12:18 No.229  操作


「岐阜命名シンポジウム」
(織田信長は、なぜ岐阜と命名したか)

小和田哲男氏の講演後に
小和田哲男氏と井澤康樹氏の対談があります。

平成29年7月9日(日)

長良川国際会議場 4階 大会議室
開場   13時30分
講演会  14時〜
対談   14時50分〜

事前申し込みが必要です。
往復ハガキに
往信 岐阜市長良福光2695-2
   長良川国際会議場「岐阜命名シンポジウム」係
   右の欄には何も記入しない
返信 応募者の郵便番号、住所、氏名
   右の欄に 応募者の郵便番号、住所、氏名、電話番号

お問い合わせは 長良川国際会議場 TEL058-296-1200

  
 

題名:Re: 岐阜命名シンポジウム  名前:井澤康樹 2017/05/27(土) 07:07 No.231  HomePage 操作

ケミックさま
ご紹介下さりありがとうございました。
ご期待に添えるよう頑張ります!!



題名:岐阜命名シンポジウム  名前:井澤康樹 2017/05/26(金) 11:14 No.230  HomePage 操作


7月9日(日)岐阜命名シンポジウムの小和田哲男静岡大学名誉教授講演後に、美濃源氏フォーラムへの指名により理事長井澤康樹が対談させて頂く事にりました。
抽選で300名ですが、お申し込みを宜しくお願いします!!



題名:楠公夫人を語る会  名前:名無しさん 2017/05/18(木) 10:32 No.227  操作


7月16日(日)午前11時から、ニューいじら湖荘で
「楠公夫人を語る会」が開催されます。

講師 楠木同族会 楠木忠正氏
演題 「大楠公の忠義を惟うとき」

10時   受付開始 (会費4千円懇親会費含む)
11時   開会
11時30分 懇親会(アルコ−ル無し)
13時   閉会

  
 

題名:Re: 楠公夫人を語る会  名前:名無しさん 2017/05/18(木) 10:35 No.228  操作

ニューいじら湖荘(岐阜県山県市長滝25-1)
問い合わせは、090-7850-9712 ニューいじら湖荘藤田律子



題名:臨済宗妙心寺派  名前:井澤康樹 2017/05/05(金) 10:20 No.225  HomePage 操作


225の画像を原寸大表示します 応仁の乱を避けて美濃に来た禅僧達は土岐氏に関係深く、ここに岐陽が成立!
臨済宗の鎌倉と京都発展の中で土岐氏の果たした役割が現代に続きました!!
特に妙心寺の寺領を中世に寄進した利貞尼と斎藤妙純の室が土岐成頼へ!!!
岐阜市寺町の瑞龍寺は全ての関係者が揃った正に「岐阜の祖」ですね!!!!
開基土岐成頼、開山悟渓宗頓、土岐成頼画像讃東陽英朝、沢彦住持!!!!!
況してや柏堂景森は快川紹基高弟で「岐阜」の流れがここに凝縮!!!!!!

  
 

題名:Re: 臨済宗妙心寺派  名前:名無しさん 2017/05/10(水) 16:18 No.226  操作

雪江宗深の法嗣四人景川宗隆、悟渓宗頓、特芳禅傑、東陽英朝。この四法嗣が輪番で妙心寺住持を務め教団管理にあたる。
東陽英朝は、妙心寺教団の管理運営体制の基礎を築いた人物の一人でもある。



題名:臨済宗妙心寺派  名前:井澤康樹 2017/05/05(金) 10:18 No.224  HomePage 操作


応仁の乱を避けて美濃に来た禅僧達は土岐氏に関係深く、ここに岐陽が成立!
臨済宗の鎌倉と京都発展の中で土岐氏の果たした役割が現代に続きました!!
特に妙心寺の寺領を中世に寄進した利貞尼と斎藤妙純の室が土岐成頼へ!!!
岐阜市寺町の瑞龍寺は全ての関係者が揃った正に「岐阜の祖」ですね!!!!
開基土岐成頼、開山悟渓宗頓、土岐成頼画像讃東陽英朝、沢彦住持!!!!!
況してや柏堂景森は快川紹基高弟で「岐阜」の流れがここに凝縮!!!!!!



題名:岐阜と岐陽と岐山  名前:井澤康樹 2017/05/05(金) 10:17 No.223  HomePage 操作


223の画像を原寸大表示します 悟渓宗頓 妙心寺第11世住持 没年1500年 瑞龍寺開山 土岐成頼開基
東陽英朝 妙心寺第13世住持 没年1504年 大仙寺開山 土岐政房開基
沢彦宗恩 妙心寺第39世住持 没年1587年 瑞龍寺住持 岐阜を進言?@
快川紹基 妙心寺第43世住持 没年1582年 南泉寺開山 土岐頼純開基
柏堂景森 妙心寺第62世住持 快川紹喜高弟 宗福寺住持 岐阜を進言?A



題名:いろいろと妄想  名前:名無しさん 2017/04/24(月) 13:43 No.217  操作


土岐成頼の妻は斎藤利永娘で土岐政房の母
土岐政房の妻不詳、斎藤利国妹?
土岐政頼の妻は朝倉貞景娘
斎藤利国の娘は、京極高清室、朝倉貞景室

土岐成頼の子某六角高頼の養子
六角高頼の子六角定頼の娘は土岐頼芸正室

朝倉、京極氏に近い土岐政頼、斎藤利国嫡流の旧守護代家と
六角氏を背景とした土岐頼芸を擁する長井氏との抗争。
舟田の乱で勝利した斎藤利国が余勢をかって六角氏討伐に行き戦死し斎藤守護代家衰退の原因になったことを思えば、六角氏は前斎藤氏にとっては宿敵である。

岐阜市の市章は、井筒紋に良く似ている。
井の口にちなんでつけられたそうだが、期せずして長井氏の家紋井桁井筒紋のようでもある。

  
 

題名:Re: いろいろと妄想  名前:名無しさん 2017/04/25(火) 16:44 No.218  操作

土岐成頼は、一色氏に嫁いだ土岐頼益娘の子であったとしたら
斎藤氏と関わりのない土岐元頼に家督を譲ろうとして失敗したことも斎藤守護代家の傀儡となることに抵抗があったのではなかろうか?
土岐政房の母は斎藤利永娘とされているので斎藤利国の加勢もあり、政房は舟田の乱では勝利したが、利国没後の明応5年以降は弱体化した斎藤氏より長井氏に頼らざるを得なくなったようである。
政房の後継も斎藤氏と関わりのある朝倉氏を背景とする政頼よりも、長井氏は六角氏との関わりがある土岐頼芸に味方することになる。
政頼の母は不明(斎藤利国妹か?)であるが斎藤氏ゆかりの人物と推測すれば、おそらく土岐頼芸は同母の兄弟ではなく、母は後妻、側室である可能性もある。
頼芸の子として土岐(一色)小次郎頼秀という人物が見られ、さらに、斎藤義龍、龍興が一色と称したことも不可解極まることである。
美濃国諸家系譜には、稲葉通則の娘として深芳野がいて母は一色義遠娘とされている。
土岐政房から稲葉通則(妻は国枝氏)は側室であろう一色氏の娘を譲られたのであろうか。
もしかすると一色小次郎頼秀と斎藤義龍は深芳野の子供か?
いろいろと妄想すると限りなく推理小説の世界に!

  
 

題名:土岐成頼の子どもたち  名前:井澤康樹 2017/05/04(木) 17:42 No.222  HomePage 操作

ケミックさんのお陰で土岐成頼の子どもたちの位置付けが分かってきました。
一人は、安国寺一華院の妙守、一人は鵜沼承国寺の梅心瑞庸と、同じく承国寺の慈峯瑞護でした。
これで、応仁の乱を避けて美濃に入った禅僧達の足取りが掴めてきましたし、その後の岐陽と岐山と岐阜の成立が確定出来ます。
これも偏にケミックさまの功績です。



題名:最近入手した古文書  名前:久保寺 2017/04/29(土) 17:30 No.219  操作


219の画像を原寸大表示します 初めて投稿します。
1年ほど前から古文書に興味を持ち、講座などで
勉強を始めた超初心者です。最近(今年4月)に入手
した古文書に明智光秀の子孫に関わることが書いてあり
そこに出てくる「土岐伊佐之助」という名前で検索したとこ
ろここのサイトがヒット(正確には土岐伊左之助でヒット)
したので参考になればと思い投稿いたしました。
この古文書によれば、慶長元年に16歳で元服した光秀
の四男「駒丸」が讃州鵜足(うた)郡中通(なかとう)村
飼野に移住したと書いてあるようです。現在の香川県
仲多度郡まんのう町中通あたりみたいです。
このサイトにも「土岐伊左之助英包の墓・明智光秀後裔
(香川県綾歌郡綾歌町)」とあり関係するものではないか
と思います。
ちなみに、千葉県市原市にも光秀の子孫とされるお墓が
あるのをつい最近知りました。先日、近くまで行ってみた
のですが、場所は全くわかりませんでした。
個人のお墓みたいなので、興味本位で行くものではないとは
思いますが、管理している方にご了承していただければ
ぜひお墓参りしてみたいと思います。
この古文書は、岡山の業者の方からネットで買いました。
その方に聞いてみたところ、同じ岡山県内の業者が最近
亡くなられたということで丸ごと骨董類を買ったうちの
中にあるたけ細部は不明ということでした。ただ、初出し
といわれるものには間違いないそうで、初めて蔵から出て
世間に公開されるもののようです。
ただ内容もご覧いただければわかるように定説とはちょっと
違うようで・・「惣領重兵衛秀義」(定説は光慶?)と
書かれていたり。信憑性は不明です。
詳しい方の意見を伺えれば幸いです。

  
 

題名:Re: 最近入手した古文書  名前:名無しさん 2017/04/30(日) 22:39 No.220  操作

明智光秀の子供について確実なところは不明と思います。
また、伝記や諸系図を参考にせざるを得ないため証明する事は困難だと思います。
慶長元年(1596)に16才とすれば、1580か1581年に
誕生となり、1582年の本能寺の変の2年前です。
光秀最晩年の子供のようにも思われますが、誰も否定も肯定もできないと思います。
近年出版された(明智一族三宅家の史料)なども膨大な史料ですが確証を得ることできません。
明智光秀の出自自体にも諸説あり、土岐明智氏系図も信頼できるものは見当たりません。
ご研究を期待したいと思います。

  
 

題名: 最近入手した古文書  名前:井澤康樹 2017/05/04(木) 17:33 No.221  HomePage 操作

久保寺さま
投稿を下さりありがとうございました。
美濃源氏フォーラム事務局本部理事長の井澤康樹と申します。
大変貴重な資料を買い求められましたこと誠に資料保存の功績と敬服する次第です。
これは、光秀の遺児とも満春の遺児とも言われる者が本能寺の変の後に和歌山へ落ち、その後淡路島を経由し徳島へ渡り香川の炭所に住んだ後に、満濃町岡田東や新居浜に住んだ系統、また土佐に渡った坂本龍馬の系統として、語り継がれてきた事裏付ける文書となります。
現在、大阪におられる土岐裕子さんが血筋になりますので喜ばれると思いますし全文を遺しておきたいものです。
尚、千葉県市原市にも光秀の遺児が側室と共に逃れ斎藤氏が同行したとして墓が残っております。
是非とも、今後の美濃源氏フォーラム入会と共に御親交賜りたく、連絡がminogenji-tokiichizoku@docomo.ne.jpまで頂けたら幸いです。せ



題名:関鍛冶  名前:名無しさん 2017/04/18(火) 14:48 No.216  操作


全く刀には興味もなく無知であったが、関在住の某氏から刀祖がはっきりしないという指摘があり、できるかぎり調べてみた。
関刀鍛冶の刀祖は元重(九州から来た?)とされているようである。
先日、元重の刀が発見されたとの記事が見られたが確実なところは未だ不明のようである。

東大史料編纂所には
「関鍛冶七流略記」
「濃州関鍛冶之系図」
「濃州関鍛冶七流系図」がある。
他に
「関鍛冶の起源をさぐる」平成7年関鍛冶刀祖調査会編

系図には、奈良文殊四郎流とも千手院とも記載されており、大和五派の流れであろうことが推測される。
また、相州正宗の弟子とあり事実は不明であるが、相州の影響も窺われる。
関鍛冶には、阿弥号を称している刀匠が見られるため、鎌倉末期から室町にかけての同朋衆に由来するのではないかとも推測される。
阿弥号を称しているのは、世阿弥、本阿弥などもそうであるが、時宗門徒とは限らないようである。
しかし、後世、関には時宗の遊行二十二代意楽が閑居し当時時宗寺院も存在していた。
意楽は、京極家臣上阪氏の出であり、関には佐々木京極氏の何らかの関わりがあったようにも思われる。

余談ではあるが
尾道の刀匠其阿弥(三原正家)は、時宗二代他阿真教上人から法名を賜ったとされる。
刀鍛冶は廃業されたが、子孫の方のHPもあり脈々と現代まで由緒ある其阿弥姓は継承されているようである。
また、文殊が名字で四郎が名前ではなく「文殊四郎」という稀少姓が存在する。
おそらく、大和刀匠のルーツを持つ方ではないかと思われる。
承久の乱、元弘の乱、応仁の乱、戦国時代などを考えると刀剣の需要は膨大なものであったのではないかと思われ、この地方では関刀鍛冶が、その供給を担っていたものと容易に想像できる。
確かな史料をもとにした研究に期待したい。


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