美濃源氏フォーラム 最新NEWS

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               2009年6月吉日
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題名:讃岐の国の土岐氏の家系は  名前:海遊庵主 2011/07/16(土) 17:04 No.71  操作


71の画像を原寸大表示します 投稿の儀、只管に写真をお送りするには、掲示板にては不可にて候為らんかな?。
さて、先般、mino阿弥師のお約束の、讃岐の国・美濃国土岐氏の末裔の屋島の麓源平合戦の古戦場の牟礼町の中村家(役戸・砂子)両家のご子孫の系図の書き写しのコピーを拝授しましたのでご了解を得て、写真を電送できるこの窓口にその一部を無礼を承知でお送りしておきますので御検証お願いします。南無

  
 

題名:Re: 讃岐の国の土岐氏の家系は  名前:海遊庵主 2011/07/18(月) 17:57 No.72  操作

72の画像を原寸大表示します 澤源様、投稿欄にて早速のご返信頂き恐縮しております。何分にも個人の家系の伝来の系図にて、原本・詳細は差し控えさせて頂きますが、牟礼町史にその系統図の略図が載っておりましたのでその関連箇所をお送りしますのでご覧ください。
  
 

題名:Re: 讃岐の国の土岐氏の家系は  名前:海遊庵主 2011/07/20(水) 15:07 No.74  操作

74の画像を原寸大表示します 役戸と砂子は、共に讃岐国牟礼の郷の古地名也。
両家の符号する箇所を見比べば、光信ー光其ー光衡殿の名前を共有去れております。
頼光の跡継ぎには、我が家の系統図には、『頼国』と『頼宅』と『頼元』と『頼冶』と申す者あり。
(1)砂子の在の中村氏は、頼国殿(母・伊豫守藤原元平の女也)を其の源流として居り〜国房ー光国ー『光信』と記す。方や
(2)役戸の中村氏は、頼光ー頼綱ー頼政ー兼綱ー頼茂ー『光信』と世継を記す。
はてさて?其の流れに聊かの相違あれども、次世代の『光信』殿の時代には其の名を共有しているのも摩訶不思議也。(見比べて見れば何かが透いて見えて来るかも)南無



題名:蒲姓の儀について  名前:海遊庵主 2011/07/18(月) 21:23 No.73  操作


73の画像を原寸大表示します 澤源様、mino阿弥師、真に重ね重ね縁の深さを教えられる事項ばかり為らん哉?!。
源範頼殿のご子孫の家系と思しき・キャディーさんの御名は、もしや〜そのご子孫の謂れを継ぐことも、慎重に検めて御検証を重ねてください。南無



題名:土岐一族の画像が作られました  名前:澤源 2010/11/30(火) 06:39 No.65  操作


65の画像を原寸大表示します 一昨年から注目された瑞浪市和合町で看板屋を経営してみえる高木紀彦さんが、土岐一族の画像を書かれ掛け軸にされました。

土岐光衡・光行・光定・頼貞・頼遠・頼康・頼行・頼忠・頼益・持益・成頼・政房・頼武・頼純・頼芸と正に桔梗一揆の如く威彩を放っています。

また、中でも室町幕府初代美濃守護土岐頼貞が一日市場館を出陣する場面とした掛け軸も作られましたから、生唾ものとなりました。

つきましては、美濃源氏フォ−ラムが独占販売を頼まれましたから、今週末から受付致します。

それぞれ紙箱に高木紀彦氏の手書きの題字が貼られ、プリント製版の受注生産です。

尚、一族画像が19500円で土岐頼貞画像が29500円ですから、気持ち良い値段です。

後1ヶ月で新年を迎えますから、床の間の掛け軸を換えられお正月をどうぜお楽しみくださいませ。

  
 

題名:Re: 土岐一族の画像が作られました  名前:土岐学司 2011/06/27(月) 01:09 No.70  操作

はじめてメールいたします、福岡の土岐学司(さとし)と申します。以前こちらのサイトを見させていただきましたが、本日久々にお立ち寄りいたしましたところ、掛け軸販売のニュースがあり、私も購入したくご連絡いたしました。
どのように購入すればよろしのでしょうか。お手数とは思いますが、お知らせいただければ助かります。
よろしくお願い致します。



題名:第5回 ざ・無礼講 のポスター  名前:蘭台令史 2011/05/18(水) 14:24 No.69  操作


平成23年7月3日開催致します。


題名:平成23年度案内ポスターA  名前:蘭台令史 2011/03/30(水) 17:37 No.68  操作


68の画像を原寸大表示します 美濃源氏フォーラム事業案内が出来ました。

岐阜市長良講座 
   と 
名古屋駅前講座

のポスターです。



題名:平成23年度案内ポスター@  名前:蘭台令史 2011/03/30(水) 17:21 No.67  操作


67の画像を原寸大表示します 美濃源氏フォーラム事業案内が出来ました。
平成23年度から
    本部瑞浪市講座 と 東濃土岐市講座が
                  合併しました。



題名:明智光秀公ゆかりの地連絡協議会総会  名前:澤源 2010/11/22(月) 17:56 No.64  操作


64の画像を原寸大表示します 滋賀県大津市西教寺の明智光秀公顕彰会に伺うようになって15年になりますが、本日の「明智光秀公ゆかりの地連絡協議会」への入会のお誘いを頂きましたので、喜んでお付き合いする事として受諾して参りました。

但し、毎年の持ち回り総会に際して費用も掛かるため、観光協会との連携が必要ですし、美濃源氏フォ−ラムの明智光秀研究部会から独立されて自主運営をしている「瑞浪明智光秀顕彰会」が先に入会済みですので、違いを如何にするかが課題です。

美濃源氏フォ−ラムの明智光秀研究は、顕彰会副会長中島道子先生との繋がりできましたから、いずれにしても西教寺さんと顕彰会さんの意向を大切にして進めていけたらと思います。

尚、来年の開催は「福知山市」となりましたので、澤源が昨年パネルディスカッションに呼ばれましたし、今年の20周年には福知山市から明智光秀研究会の正副会長にお越し頂きましたから、盛大な5周年の「明智光秀公ゆかりの地連絡協議会総会」となるよう心掛け参ります。



題名:岐阜の岐の字シンポジウム  名前:澤源 2010/11/11(木) 03:13 No.63  操作


来月の12月5日(日)に岐阜市歴史博物館において開催する『岐阜の「岐」の字シンポジウム』への一般参加者が募集となりました。

定員が200名で、美濃源氏フォ−ラムの割り当て100名は正会員で申込完了しましたから、残りは岐阜市歴史博物館の枠が多少残っているようですから、今なら間に合うかもしれませんので電話されては如何でしょうか?

内容は下記の通りです*

松尾一氏「岐阜のアイデンティティ」

谷口研語氏「応仁の乱と美濃土岐氏」

岩村宗康氏「東陽英朝と岐陽・岐山・岐阜」

高木洋氏「斎藤道三から織田信長へ」

小和田哲男氏「信長の井ノ口から岐阜へ改称」

岐阜の地名は、織田信長が美濃に入るより約百年前に使われ始めましたが、応仁の乱を避けて美濃に来た貴族公家禅僧達が岐蘇川(現在の木曽川)の北側の陽辺りの良い土岐氏の守護所に逗留したことから、土岐氏を意識して岐陽・岐山・岐阜を使い始めた訳であり、既に岐阜市歴史博物館も我々のこの解釈を認めてくれましたから、図録でも記載されています。

とすれば、何故信長の側近であった沢彦禅師が井ノ口を岐陽・岐山・岐阜の中から改称し岐阜としたのか、この意味にも言及しなければなりません(最近では祟福寺にいた栢堂景森との説を横山住雄氏が発表しています)。

兎に角、織田信長が革新的に曲阜や岐山などから岐阜とした定説を覆し、新しい岐阜物語を目指しますので、是非とも御来場をお勧め致します。

尚、岐阜市歴史博物館の電話番号は下記の通りです* 0582650010



題名:井沢元彦講演会  名前:澤源 2010/09/28(火) 07:56 No.62  操作


62の画像を原寸大表示します 9月20日(月)に歴史作家井沢元彦氏に美濃源氏フォ−ラムへお越し頂き20周年記念事業「土岐氏桔梗紋の偉人達ー明智光秀・加藤清正・坂本龍馬」と題して講演頂きました。

但し、お昼頃に岐阜入りしバスツアーに合流し、土岐氏関連史跡を見学してからの講演でしたから、バスツアーに参加された方はビックリしがてら大喜びでした。

ましてや、斎藤道三と土岐頼芸が闘い美濃を土岐氏が追われた最後の舞台となった「大桑城(おおがじょう)」が山崩れでバスが登れず、代わりに光秀が生き延びて荒深小五郎として隠れ住んだ山県市でも美山町へ緊急事態で迂回した次第です。

ついては、井沢元彦氏の優しさは30分のミニ講演をバスの中でして頂いた事で、大桑城登りが出来ずに時間が余ったのを、見事に調整頂いたわけでして、参加者の喜びやご想像の通りです。

さて、本題の講演会ですが、鎌倉幕府を開いた源頼朝に室町幕府を開いた足利尊氏と同様に、清和源氏である明智光秀も同じく幕府を開くとしての朝廷への銀献上であり、本能寺の変以後の工作で征夷大将軍の宣下があってから3日の後に倒されたから三日天下と今でも言われている、と言う内容が骨子です。




題名:流石、明智光秀切手  名前:澤源 2010/09/09(木) 06:21 No.60  操作


60の画像を原寸大表示します 9月18日に開催する「明智光秀公シンポジウム」の講演資料が明智憲三郎先生から昨日届きました。

「光秀の前半生」がテーマですから、出生地・明智城・仕官への経緯など、謎の前半生を講師と共に参加者が一緒になって考えるものですから、あなたのご参加もお待ちしています。

さて、その資料が送られてきた封筒には三枚の80円切手が貼られていましたが、何と「明智光秀切手」でした。

明智憲三郎先生が恐らく制作されたのでしょうが、昨年発刊され増刷りされている「本能寺の変、四二七年目の真実」と、光秀が治めた福知山市にあり光秀の御霊を祀る「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」の二種類です。

丁度東濃の郵便局にて、来週の月曜日に発表し、14日の火曜日から「美濃源氏切手」が発売されますから、明智憲三郎先生の意気込みも、一緒に同封されていたようです。




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