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               2009年6月吉日
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題名:明智丸1  名前:T/M 2017/04/03(月) 22:16 No.211  操作


滋賀県多賀町佐目地区には明智光秀伝承があるそうです。しかし前半生が不明の光秀の謎を解明する有力な手がかりになる気がします。
土岐・一色成頼と六角高頼と六角二郎 
細川藤孝と明智光秀
今須と多良と佐目をつなぐ街道



題名:明智丸1  名前:T/M 2017/04/03(月) 22:11 No.210  操作


滋賀県多賀町佐目地区には明智光秀伝承があるそうです。しかし前半生が不明の光秀の謎を解明する有力な手がかりになる気がします。
土岐・一色成頼と六角高頼と六角二郎 
細川藤孝と明智光秀
今須と多良と佐目をつなぐ街道



題名:平成29年度スタートします!!  名前:井澤康樹 2017/04/01(土) 11:09 No.209  HomePage 操作


209の画像を原寸大表示します 本日から平成29年度がスタートしました。
今年も宜しくお願い申し上げます。
平成3年5月から始めて26年が終わり、間も無く27年目となります。
本会の主旨は「美濃源氏土岐氏を中心とした歴史検証と、その歴史を活かしたまちづくり」が活動テーマです。
皆さんの御参加、特に講義録を発行再開しましたので、ご遠方の方々も年会費3000円で御登録をお願い申し上げます。
特に、土岐氏に連なる方は、その情報と共に入会し土岐氏復活のための御尽力が賜れたら幸いです。



題名:平成28年度の講義録完成しました。  名前:井澤康樹 2017/04/01(土) 11:00 No.208  操作


208の画像を原寸大表示します 美濃源氏土岐氏研究講座6回
武家文化歴史回廊講座6回
これらを一冊に纏めた講義録が3月31日完成。
正会員には来る4月8日(土)の総会から配布。
尚、頒布希望者には3000円(税込)着払。
お申し込みをお待ちしております。



題名:美濃ノ中臣連  名前:名無しさん 2017/03/30(木) 14:57 No.205  操作


「古代氏族系譜集成」宝賀寿男編著に、美濃ノ中臣連の系譜が見られる。
真偽のほどは全く不明であるが
中臣宮処連勝海ー古多比ー長良ー眞鳥ーと続き
稲葉三郎氏安−稲葉三郎安顕(鎌倉御家人領方県郡西郷)ー稲葉四郎安民(承久乱属宮方於茂井被誅)・・稲葉四郎兵衛尉ー稲葉小四郎重房(属土岐)ー稲葉九郎元慈・・・通兼(七郎)の系譜がある。
通兼(七郎)は、伝記などに見える稲葉七郎通兼を想起させるものである。
また、この出典不明の系譜が仮に確かなものであるとすれば、諸伝記に書かれている稲葉氏の由来や稲葉系図などは、すべて後世に付会、仮冒したものではないかという疑念が生じる。



  
 

題名:中臣宮処氏本系帳  名前:名無しさん 2017/03/31(金) 09:11 No.206  操作

国立国会図書館のデジタルコレクションに、中臣宮処氏本系帳考証上下巻(敷田年治著)が見られる。
  
 

題名:中臣宮処氏  名前:名無しさん 2017/03/31(金) 09:29 No.207  操作

「日本の苗字七千傑」にも中臣宮処氏の系譜があり、稲葉、加納、安江など美濃中臣氏の系譜が紹介されている。


題名:佐々木氏頼と河野通義室   名前:T/M 2017/03/30(木) 13:50 No.204  操作


呑舟様
お世話になります。
近江八幡にある長命寺と思います。



題名:佐々木氏頼と河野通義室  名前:T/M 2017/03/25(土) 09:40 No.202  操作


呑舟様
お世話になります。
よい一次史料に出会えるといいのですが、地道に外堀からうめるしかありません。
六角佐々木氏系図略(東大図書館 明治35年版)のなかにも最後の氏綱ー義實ー義秀ー義康と続く中で、
義秀 母将軍義晴公女 永禄11年7月9日逝去32歳  号東光殿
義頼 左京大夫 若州武田義統養子
女子      将軍義輝公養子
女子 伊予国 河野室 長命寺尼上 
とあります。 河野氏の誰かは不明です。
 沙沙貴神社系図にある 河野通義室→長命寺尼上人 と類似しています。
  
 河野氏と長命寺にはなにか関わりがあるのでしょうか?

  
 

題名:Re: 佐々木氏頼と河野通義室  名前:呑舟 2017/03/29(水) 18:20 No.203  操作

長命寺とはどこの長命寺ですかね?
疎いのですが?



題名:佐々木氏頼と河野通義室  名前:T/M 2017/03/17(金) 19:48 No.197  操作


美濃国諸家系譜にある稲葉系図を見ますと、通直(通堯)は康暦元年1379年
自害57歳。子として
   通實 父と同康暦元年1379年自害28歳。生まれは1351年という事になります。一子あり亀王丸といい一柳の祖とあります。
   晴通、通宣、通時は通直と同じ時期に討死。
   通高は美濃池田郡小寺へ 通康は伊予越智郡へ
   通高については多く書かれています。
  牧田の戦いにおける状況とよく似ています。
呑舟 様が述べられた、
康暦2年 北 2月13日 大日本史料 義満、河野通直の戦死を褒し、其嗣亀王丸の軍功を奨励す【古今消息集】 などから亀王丸は通實の子を指すのか、
それとも通義でいいのか知りたい所です。

  
 

題名:Re: 佐々木氏頼と河野通義室  名前:呑舟 2017/03/19(日) 09:00 No.201  操作

系図が二次資料であって一次史料と同等に扱えないものとされることは周知の通りですね。

再度、美濃諸家系譜稲葉系図を見直しましたが、この系譜は変ですね。

康暦元年 北 11月6日 久万町誌 ○河野通堯は細川頼之軍と周桑郡(東予市)佐志久原で戦い討死す。之以河野家全く振るわず衰亡の道を辿る。

が史実と思われますが、美濃・稲葉系図では安芸竹原での戦いと
しています。この時安芸竹原では戦いはありません。この系図の編者の底本の通堯(通直)ではなく、天正期の牛福通直と混乱したものと思われます。しかし討死の日は佐志久原の日と合っています。通實が誰のことか分かりませんが位置的には通能(通義)と同じ位置にいますので通能の別名かもしれません。

どちらにしろ亀王丸は通堯(通直)の子で通能(通義)とするのが正しいと思います。

美濃諸家系譜(稲葉)が明らかに戦いの場所を間違えていたり、通晴、通宣、通時の時代が違う人が登場したり、通高なる人が登場するのは紛乱か加冒かの記述と思われます。

色んなもっともらしい資料が多くよく分からないのです。
一次史料から分別することしかありません。

稲葉系図もいろいろあって、どれも変です。

美濃諸家系譜稲葉系図は通高を美濃稲葉初代としますが、早大稲葉系図は河野通有(1250〜1311 7/14)の子通種を拝志四郎左衛門通胤【稲葉系図】とし、林六郎通時の弟、林四郎通任・去伊予入美濃【稲葉系図】で林小太郎通快につなげます。

しかしこの系図も変なのです。

伊予の河野系図では、通有の子河野四郎左衛門通種(稲葉系図では拝志四郎左衛門通胤)その長子、河野(得能)六郎通時(稲葉系図は林六郎通時)その弟、河野(今岡)四郎通任(稲葉系図は林四郎通任)で美濃稲葉初代とこちらはします。

ただこの系図は加冒と思われます。河野通任は今岡であり、村上義弘姉婿とされ、城滝城戦死となっています。【入川文書】は通時と通任は同一人物とします。

また別の稲葉系図は河野遠江守通吉の子、稲葉通則が美濃稲葉家祖とします。

また別本は、河野(稲葉)七郎通弘を美濃稲葉祖とします。

また系図纂用は河野伊予守通春の子の河野(稲葉)七郎・称・林
を美濃稲葉祖とします。

また別本に河野一郎太郎弾正少輔通直(〜1572 8/26)の子に
河野濃州稲葉家祖河野塩塵とするものもあります。

これほど初代は時代が違い、人が違いする家もめずらしいく、
虚実が全くわかりません。

ここまで来ると「♯人生色々、系図もいろいろ、好きなのをお選び下さい」となります。

古文書と雖も、一次史料でないと信用できない所以ですね。

真面目に追及しているととても疲れます。(はあ〜)















題名:佐々木氏頼と河野通義室  名前:T/M 2017/03/17(金) 16:10 No.196  操作


呑舟 様 お久しぶりです。
美濃大野氏の調査はまだまだで申し訳ございません。
河野通義(通能)の基本情報が複数あるとのことですが、
通義の他の室についてはいかがしょうか?
私にとって解明に頭が痛い、南北朝期の河野氏と土岐氏と佐々木氏の関わり。
新たな進展があるといいですね。

  
 

題名:Re: 佐々木氏頼と河野通義室  名前:呑舟 2017/03/18(土) 16:51 No.200  操作

河野通能(通義)の室については殆ど史料がありません。
よく分からないのが現状です。



題名:平心和尚 行録・語録  名前:T/M 2017/03/18(土) 15:34 No.199  操作


禅蔵寺・土岐御住職からいただきました「平心和尚 行録・語録 平成7年10月30日発行」のp12に
正和2年(1313)平心和尚27歳の時 野洲奈須の雲巌寺の仏国禅師(1241−1316)を訪ねた時、天龍の夢窓国師(1275−1351 37歳  )、江州永源の寂室和尚(1290−1367 37歳)と道伴なり。と書かれています。(一部略) 
永源寺は開基が1361年なので 佐々木氏頼(1326ー1370)37歳の時です。
禅蔵寺は土岐頼忠(1323−1397)の開基です。
平心和尚は土岐頼忠、佐々木氏頼が生まれる10年程前に佐々木氏ゆかりの夢窓国師と江州永源の寂室和尚と三人で会っていた事になります。
☆この語録は原本がなく、江戸後期天保、嘉永年間の写本とのことです。
ただp43の小田・山野内入道とされる土岐明智頼重についての記述が他の説と年代が少しずれているのが気になります。


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