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題名:明田氏など 名前:名無しさん
2018/07/02(Mon) 11:11 No.329 


地図には、高槻市明田町も見られます。
京都市の明田町とは特定できませんが、応仁の乱頃には高槻方面には西岡被官衆という存在があります。
ブログには、明田氏は応仁の乱で南丹市八木に落居されたように書かれていますから、京都に住まわれていて戦いに巻き込まれる可能性の少ない南丹市方面に移られたのではないかと云う推測です。
東軍であれ西軍であれ西に行けば何らかのトラブルが予想されます。
また南丹市は明田氏ゆかりの地であったやもしれません。

向日市西岡あたりが斎藤道三の出身地とされています。
研究者は誰も取り上げませんが「美濃国諸家系譜」には、久貝氏と斎藤道三家は重縁であったと書かれています。
久貝氏は斎藤道三と同様美濃に来たようですが、斎藤道三とは仲たがいしたようにも書かれています。
久貝氏は大山崎近くに久貝城があったようで西岡被官衆や大山崎神人の中には見えませんが一定の勢力があった土豪であったと考えられます。
また久貝姓は後の徳川幕府旗本にも見られます。
「美濃国諸家系譜」の記載のように久貝氏との重縁関係が事実であれば、当時の婚姻状況を考慮すれば斎藤道三の斎藤家も西岡では土豪であった可能性がありますから研究者の方々には何とか調べてもらいたいと思います。
斎藤道三の出自は六角承禎書状が決定打となり、何の疑問もないようで残念です。

もちろん明智氏が本能寺の変後に、明田姓を仮冒した可能性もありますが、明田姓は明田氏独自の歴史があり、明智氏がどのような事情で明田姓を称したのかということを詳しく知りたいところです。



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