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題名:無題 名前:T/M
2018/06/01(Fri) 15:18 No.307 


 南朝公家 「洞院実世」と
 越前金ヶ崎城→杣山城→美濃根尾城→尾張羽豆崎城→吉野行宮
      
建武3年(1336年)1月北畠顕家率いる奥州軍と合流して足利方を攻撃し、尊氏を京都から追放したものの、5月に尊氏が再上洛して京都を占領した際には、後醍醐に供奉して比叡山に難を避けている。5ヶ月に及ぶ攻防戦の末に後醍醐の下山が決定すると、新田義貞・脇屋義助らとともに東宮恒良親王を奉じて北陸へ落ち、越前金ヶ崎城に入った。恒良を天皇として推戴する北陸朝廷では、実世は伝奏となって「綸旨」を発給したが、足利方の兵糧攻めを受けて、延元2年/建武4年(1337年)3月の落城寸前に義貞らと杣山城へ脱出。延元4年/暦応2年(1339年)美濃根尾城から尾張羽豆崎城に赴き、伊勢・伊賀を経て吉野行宮(南朝)に入ったという。
羽豆崎城は熱田大宮司であった千秋昌能によって築かれた城。その後、南北朝の合一がなると一色氏に支配され、一色氏の代官として佐治氏が入った。戦国期千秋李忠が城主であったが、桶狭間の合戦で討たれたため、その後は千賀氏が在城。


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