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               2009年6月吉日
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題名:鎌倉幕府後家人 源土岐三郎光衡公ブロンズ像製作事業 
名前:澤源 2019/05/16(木) 01:42 No.440  操作


440の画像を原寸大表示します 鎌倉幕府後家人 源土岐三郎光衡公ブロンズ像製作事業、いよいよ桐井雅康さんによる造形が完成に近づいてきました。
兜甲冑研究家の三浦一郎氏のご指導を受けながら、日展ブロンズ作家寺澤啓治氏の御教授を賜り、あと一息です。

  
 

題名:Re: 鎌倉幕府後家人 源土岐三郎光衡公ブロンズ像製作事業 
名前:名無しさん 2019/05/16(木) 11:06 No.441  操作


この顔.もう少しなんとかなりませんか?
軍事貴族のような風貌を想像していましたが?
土岐氏のイメ−ジとはかけ離れて、なんとなく違和感があります。

  
 

題名:Re: 鎌倉幕府後家人 源土岐三郎光衡公ブロンズ像製作事業 
名前:名無しさん 2019/05/16(木) 19:23 No.442  操作


法住寺殿発掘の武将墓は諸説あるようですが、源光長説もあったように記憶しています。
その折、鎧甲なども発掘されていたと思います。

  
 

題名:Re: 鎌倉幕府後家人 源土岐三郎光衡公ブロンズ像製作事業 
名前:名無しさん 2019/05/16(木) 23:21 No.443  操作


もっと具体的に言えば、伝源頼朝像のような平安貴族の面影を残したような顔が妥当です。
荒々しい武将をイメージされたようですが、このような特異な特徴を持つ顔は、最高クラスの軍事貴族と思われる源氏武将の顔ではありません。
後世に残るものだけに疑問です。




題名:九郎進士氏と蒲生氏3  名前:T /M 2019/04/29(月) 12:10 No.438  操作



「近江寺倉氏と今井氏・新庄一族」には進士氏に関して興味深い記述があります。

*抜粋*
寺倉氏が今井氏の一族に出たことは、東京大学史料編纂所に所蔵の『島系図』(沖与左衛門〔高知県幡多郡鍋島村〕の原蔵)に見えます。具体的には、泉八郎俊宗の子の藤二俊正が寺倉氏の祖と見えており(※系図の当該部分 は黄色マーカーをつける)、地域的にも天野川中下流域には今井一族の諸氏が繁衍しておりますので、これは信頼してよいとみられます。
また、同所には別本の『島系図』(島良三〔兵庫県明石郡大明石村〕の原蔵)もあり、そこには、鎌倉中期頃の中上新藤三実俊(泉八郎俊宗の曾孫)の娘が「寺倉進士太郎」の妻となったことが見えます。**

*系図の当該部分 をネット上で開いてみると、藤原秀郷流の俊宗(泉太夫 近江住)の子に
俊成(堀藤太 近江住 堀 黒田 速水 若宮 為替近藤等の祖)、
俊正(泉藤次 近江住 寺倉の祖)
俊安(泉三郎 近江住 宗家)
俊平(泉八郎 近江住 今井 新庄の祖)
と書かれています。俊正と俊平が進士を名乗っているとすれば、兄弟である俊成と俊安も進士を名乗っている可能性があると考えられます。
明智宮城系図にある進士氏、山岸氏はこの俊成(堀藤太)流と関係がないかと考えています。

  
 

題名:Re: 九郎進士氏と蒲生氏3  名前:名無しさん 2019/04/30(火) 11:23 No.439  操作

「稲葉氏由緒答問録」に、稲葉塩塵は近江からきて妻室は新庄駿河守女と書かれていたような気がします。
うろ覚えですから、あわせてご確認頂ければと思います。
堅田の本福寺の五代住職明宗は美濃出身の河野氏流とされており、近辺の寺院にも河野文書が残っているようです。
琵琶湖の湖族の関係で、河野水軍の庶流が何らかの関りがあった可能性もあります。
美濃の河野氏流は、石野弥栄氏の論文にみられる北朝系河野墨俣氏流と稲葉塩塵のような近江からの河野氏流、伊予から無文元選禅師に随従して来たとされる岐阜市椿洞の南朝系河野氏などがあるようです。
谷汲の鷹司氏が滅亡した折、道三の家臣今井氏が子孫を保護したようなことも書かれていて今井氏も美濃に進出していたようです。
いずれにしても、美濃と近江は地理的にも近く、深い関りがあると思います。



題名:九郎進士氏と蒲生氏2  名前:T /M 2019/04/22(月) 10:18 No.437  操作


申し訳ありません。
参考 mhttps://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/471c0f8394fef5417964430f39eee5ab
開けない場合は
  「津々堂のたわごと日録 蒲生家のこと(一)を参照してください。



題名:九郎進士氏と蒲生氏  名前:T /M 2019/04/22(月) 09:03 No.436  操作



近江今井氏は藤原秀郷の後裔で、承久の乱のとき宮方に味方し、勢多橋(滋賀県)で熊谷小次郎と戦った「九郎進士俊綱』を祖とする。とされいます。この人物を調べてみますと、藤原秀郷七代目孫で、鎌倉時代の初期近江蒲生郡に入部し小谷の丘(日野町北必佐小谷)に城を構えた惟賢の嫡男俊綱ではないかと思われます。俊綱の兄弟には和田、小谷、室木、儀峨、狛月氏がおり、妹は近江守護佐々木定綱に嫁いでいます。
進士を名乗る人物は多くいますが、進士俊綱と蒲生俊綱が同一人物かはもう少し調査を要すると思われます。
参考 mhttps://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/471c0f8394fef5417964430f39eee5ab



題名:無題  名前:名無しさん 2019/04/15(月) 14:02 No.434  操作


永仁3年(1295)「大井荘検注名寄帳」進士太郎、進士次郎
応永9年(1402)進士九郎右衛門尉氏行が足利義満から井之口の領地を宛がわれる
康正3年(1457)室町幕府が内裏建造の為全国から段銭を徴収
進士隠岐守(越中濃州江州因州作州五ヶ国の段銭五貫九百文)
進士石見守(濃州沓部桐原段銭一貫三百文を納入
永禄4年(1561)3月31日足利義輝の三好邸への御成
本膳料理の料理人は進士美作守

  
 

題名:Re: 無題  名前:澤源 2019/04/20(土) 00:20 No.435  操作

8月4日(日)の武家文化歴史回廊「河田容英氏」による『天正十年五月:安土における明智光秀饗応料理手配への考察』にご期待ください!


題名:国家の品格  名前:名無しさん 2019/03/28(木) 10:46 No.433  操作


「国家の品格」藤原正彦著



題名:無題  名前:名無しさん 2019/03/14(木) 11:12 No.432  操作


windows7のサポ−トが終了するため、年内にwindows10のPCに買い替える必要がある。
企業では7から10への変換ソフトはリスクがあり使えない。
10月からの軽減税率は、食添は8%、それ以外は10%に区分しなければならない。
紙袋に入っている食添品は8%、紙袋は10%、ポリ缶は10%中身の食添品は8%。ロ-リ-の中身が食添であれば8%で運賃は10%となり、コンピ-タ-ソフトの手直しは必至となる。
8%と10%を区分けして請求、仕入。
8%の品と10%の品が混在したものを10%で販売すれば後日2%の納税義務が生じる。
莫大な費用と事務上の手数がかかり、企業にとっては大きな負担と相当な混乱が予想される。





題名:進士作左衛門貞連  名前:名無しさん 2019/03/11(月) 11:15 No.431  操作


「綿考輯録」には
進士作左衛門貞連の親は進士美作守
光寿院様御妹婿也
(光寿院=細川藤孝正室・沼田麝香・細川マリア・細川忠興母)
作左衛門は明智殿に奉公、最後まで供致したる七騎の内なり。

進士貞連が進士流の後継と目されるが、貞連に関わる更なる史料が発掘されれば、明智光秀の謎が解明されるやもしれません。



題名:無題  名前:名無しさん 2019/03/06(水) 09:23 No.427  操作


先日のNHK歴史ヒストリアで、光秀は永禄の変後に、近江高嶋城で籠城をしていたとする古文書の紹介がありました。
小和田哲男氏も光秀は室町幕府の一員であり、室町幕府再興のために動いていたのではないかという解説もされていました。
一城を預かっていたのではないかとも考えられますから、この古文書が真実を伝えるものであれば光秀が身分の低い者とする説は瓦解します。

  
 

題名:Re: 無題  名前:Tm. 2019/03/07(木) 20:48 No.428  操作

幕臣であればもう少し詳しい経歴が伝わっていたと思います。この時は、対浅井方(=六角方?)としての籠城であったと思われます。
  
 

題名:Re: 無題  名前:名無しさん 2019/03/08(金) 14:04 No.429  操作

名も知られない身分の低い人物であったとしたら、なぜ米田文書の「針薬方」に記述されていたのかという疑問です。
米田文書とは、どのような人物によって書かれたものか信憑性はいかがなものかということまで言及する必要があると思います。
ネット上には、熱心な方がすでに調べておられますが。

  
 

題名:Re: 無題  名前:Tm. 2019/03/10(日) 07:26 No.430  操作

光秀は、(近江→)美濃→越前→美濃→近江→越前と流転を重ねており、田中城籠城の折に義輝配下と知己を得て、義昭に従うことになったと考えています。




題名:饗庭命鶴丸  名前:名無しさん 2019/02/15(金) 15:56 No.426  操作


ネット上の「室町幕府奉公衆饗庭氏の基礎的研究」には
三河饗庭郷を名字の地とした足利尊氏の近習と。

「美濃国諸家系譜」(根尾氏之事)には
頼基(号長山遠江守)の女子が美濃国大野郡饗庭城主饗庭命鶴丸室とあり?

谷氏
頼宗-頼兼-頼重-頼篤-頼長-頼樹-頼員(谷)
宇多源氏佐々木氏流ではなく、こちらの谷氏は土岐明智氏流?



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